僕針捏造外伝・ムサシの場合

僕針捏造外伝・ムサシの場合

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張りつめた一本の糸をイメージする。
糸は長く長く、どこまでも続いている。
無限に続く糸の緊張が限界に達した一点を、音もなく断つように刀を振る――

「……ダメだな」

ムサシは縦に分かれた巻藁の切断面をあらため、ひとりごちた。
まだ足りない。一太刀で決着をつけるためには……確実に相手の命を奪うためには。

「殺すには、まだ足りない、か」

自分は半端者だと痛感する。さも良心が咎めるようなふりをして、挙句に人の親の真似事などしている。

割り切れ、と自分に言い聞かせる。綺麗事がなんになる。手の届くあらゆるものを守るため、心を殺して役割に徹しろ。

「……ま、んなことで迷ってるから半端モンなんだよなぁ」

己の優柔不断さを保身するためだけの自嘲。

迷走する思考を追いやって次の巻藁を用意したムサシの手を止めたのは、彼の所属するパーティの隊長、アレクの姿だった。


「すまないな、修練の途中に」

「いや、キリのついたところだ。討伐依頼か?」

「ある意味では、な。『咎人たち』という集団、名前は聞いたことがあるだろう」

咎人は四大国では大罪を犯し、烙印を押された死刑以下の反逆者を指す。行き場を失ったならず者達が結託し、独自の生活圏を構築しつつあるという噂は耳にしたことがあった。

「……クズ共の寄せ集めがセコい犯罪でも企んでるってか?」

「事態はもう少し深刻らしい。ここ数日、王都の近辺で子供が集団で失踪する事件が多発している……現場にこれを残してな」

そう言ってアレクが差し出したのは魔法で風景を記録した紙片。普段から人気のないであろう薄暗い路地の壁には、大きく文様が描かれていた。

「これは……」

ムサシは息をのんだ。血のような液体で塗りたくった形状は、『咎人の烙印』の呪印と同じだ。

「もちろん確定的なことは何も言えん。ただ、活発化している『咎人たち』の動きと関連している可能性は否定しきれない。少なくとも国が『憂慮』する程度には、だ」

「それで俺たちが先遣隊として駆り出される、ってわけか」

「非公式だが、そういうことになる……相手は危険度も未知数の反逆者集団だ、魔物を相手にするつもりでやれ、ということらしい」

「……杞憂だといいが」

「全くだな。まずは聞き込みだ、最近になって生活用品の大口取引があった業者を洗う。ちくわとサンドラもそっちに向かっている」

「そりゃ急がんとだぜ。時間が経つほど関係のない売買も増えるだろうし、誘拐の目的次第じゃ――」

――子供たちに飲食が継続して必要かもわからない、という言葉はすんでの所で飲み込んだ。


……数日の調査で、ちくわが当たりを引いた。
スラムの入り口に近い商店で、咎人の烙印を持った人物が数十人分の食料を買っていったという。

「これで一歩前進ってところか」

同行していたムサシが呟いた直後、王国直属の兵士が店内に転がり込んできた。

「ムサシ殿! こちらにおられたのですか!」

「……どうした」

嫌な予感がする。兵士の顔は真剣そのもので、大したことではないのですが、と言い出す気配では到底なかった。

「ムサシ殿のご子息が、友人数名とともに帰っていないと――」

「『咎人たち』か」

「……付近から、例の文様が発見されました」

目の前が真っ暗になった。
そんなことがあっていいのか。俺の息子は関係ないだろう。

……そうではないことは分かっている。これまでの誘拐も要人の関係者を狙ったものではなかった。
誰でもよかったのだ。偶然その『誰でも』にムサシの子供も含まれた、それだけだ。理由が見当たらない分、絶望も大きかった。

呆然とするムサシを見て、ちくわが店主に向き直る。

「……買い手の特徴は?」

「けっ、知るかよ…………っ!?」

突然脂汗をかいて苦しみだした店主に、ちくわが手をかざしながら冷徹に告げた。

「私は今とても機嫌が悪い。お前の腹の中の空気が十分温まって破裂する前に、知っていることをすべて話せ」

「わかっ、わかった、ババアだよ、背の低いババアだった……!」

「なら一人では運べんはずだな、どこに持って行った」

「知らねぇ、ホントに知らねぇんだ、許してくれ……!」

言い切ったところで魔法を解除したのだろう、気絶した男には一瞥もくれず兵士に伝えた。

「アレクとサンドラを呼んでくれ、すぐに現場へ向かう」


「――確かに、この辺りは人がほとんど通らないの」

「ああ、だからこそ誘拐した人間を隠す場所もないと思っていたが、なるほど、幻影蝶の鱗粉による錯覚効果か」

サンドラとアレクの見立て通り、城下町の外れにはまともな建物がないようでいて、近づくと景色が歪んで見える一角があった。
人一人を隠匿するだけでもあばら家程度なら建てられる価格で取引される鱗粉だ。小屋を丸ごと隠すために使うとは、彼らの資本は想定を超えて大規模と言う他ない。

「食料調達の件といい、相当に『儲かって』いるようだな……ムサシ、平気か?」

「……ああ、もう大丈夫だ」

努めて冷静に応えた。熱くなればそれだけ隙が生まれる。息子を助けたければ頭を冷やせ、それだけを考えた。


「行くぞ」

アレクの号令とともに一斉に突入し、周囲を警戒する。薄暗い中で確認しづらいが、奥には檻が備え付けられていた。

中に見えるのは薬でも使われたのか、生気を失った子供たちの姿。少なくとも十数人、誘拐されたほとんどがまだ生きていると考えていい数だが……ムサシの子供は見当たらなかった。

「探しているのはこの子かい?」

――確かに注意して観察していたのに、声を発せられて初めて部屋の中央に座る小さな影に気付く。存在感が全く感じられない、まるで幽鬼のような老婆だった。

「心配しなくともここはあたしの『実験室』だからね、他の人間は入れやしないよ……だからこそこうして安全策を打たせてもらったわけさ」

ゆっくりと言い含めるように話す老婆の足元にはさらに一回り小さい影があった。

「なに、この子がねぇ、『僕の父上は王国最強の侍なんだ』なんて言うもんだからねぇ? 人質として価値があるんなら手元に置いておくかと考えたんだが、まさかこんなに早く使えるとは思わなんだ」

「……まずは聞きたい。子供たちは全員無事なのか?」

ちくわの怒気をはらんだ問いに、老婆はにたりと笑って答える。

「言ったろう? 『実験室』の材料は丁寧に扱うともさ」

「――ッ」

サンドラが歯噛みするが、彼女の魔法は出力の抑えが利かない。周囲を巻き込む危険性が高い以上、動くわけにはいかなかった。

「この子らの命は実験にちょうどいい……アトムスフィアの可能性の実験にね」

「アトムスフィア……?」

薬師の能力であるアトムスフィアは、薬草から薬効を抽出する際に用いられる。物品の性質を吸い出して簡易的な魔法のように扱うことができるため、国の指定した薬草以外への転用は固く禁じられている。
この老婆がアトムスフィアを悪用して咎人の烙印を押されるに至ったことは容易に推測された。

「あたしは考えたんだよ……物の性質を奪えるアトムスフィアが人間に使えたらどうなるんだろうか、ってね。いい儲け話だと思ったんだろう、後ろ盾も簡単についた」

「お前は――!」

もしそんなことが可能なら。一切の痕跡を残さず、警戒する暇すら与えず、人間の命を奪う技術となることは想像に難くない。

倫理のくびきが外れた悪魔の発想だと戦慄する他なかった。

「あともう少しで完成するんだよ、悪いが帰ってくれないかね」

「……断ると言ったら?」

「気は進まないが、実力行使に出るしかないだろうねぇ」

そう言って老婆が軽く右手を振った瞬間、ムサシは悪寒に総毛立った。

「――伏せろ!」

身をかわしたアレクとちくわの頭上で空間に断裂が生じ、あたりの木材や瓦礫が真っ二つになっていた。


「……何が起こった」

「おそらくあれもアトムスフィアだろう。何か切断の性質を放出したようだが、ここまで指向性を持たせられるとは」

「いい観察眼だねぇ。この身体じゃ剣なんて振れやしないが、こうしてアトムスフィアで飛ばせばなんでも斬れる」

老婆がもう一度手をかざそうとした直前、ムサシが一歩前に出た。

「俺にやらせてくれ」

「ムチャなの! いくらムサシの居合が速くったって、『斬る』そのものに勝てっこなんてないの!」

「いや、手はある」

……鍛錬を思い出せ。何よりも早く、殺意だけを飛ばして相手を確実に殺し切る斬撃を放つことを考えろ。
それだけが俺の息子を取り戻せる唯一の可能性だ。

ムサシは腰の愛刀に手をかけ、静かに目を閉じた。


張りつめた一本の糸をイメージする。
糸は長く長く、どこまでも続いている。
――相手の呼吸とともに、糸のわずかな揺れを感じる。
呼吸と呼吸の間、揺れの隙間を縫って相手の意識の先を行く。

そして均衡が崩れた一瞬、抜刀とともに振るわれた切先は、確かに『斬る』よりも先に『殺す』を実現した。


「……え?」

老婆は困惑した。痛みはない。だが、体が動かない。
頭の中を疑問が駆け巡る。研究は。あの侍は。人質は。思考が方々に発散していく。

とうに自分の身体が両断されていたことを知覚したのは、絶命する直前だった。


「――はぁっ」

ムサシが深く息を吐く。
急いで床に横たわる小さな身体に駆け寄って抱き起こした。大事はないようだ。

「……父上?」

どうやら目を覚ましたらしい。

「ああ、無事でよかった。遅れてすまんかったな」

「父上、怪我してる」

言われて気づいたが、肩口がぱっくりと裂けていた。ババアの最後っ屁か、と苦笑する。

「こんなもん大したことないさ。さ、家に帰ろう」


待機していた兵士に子供たちの対応を任せ、外に出た。緊張の糸が切れたのか、背負った我が子は再び眠っている。

「しかしすさまじい技だったな、光子決壊すら起こさなかったのはどういう理屈なのか……」

ぶつぶつと呟き始めたちくわを迷惑そうに眺めるサンドラを横目に、アレクが問いかけた。

「ムサシ、平気か?」

「突入前にも言っただろ? 大丈夫だっての」

「そうじゃない。あれは、人殺しの技だ」

「……大丈夫だ。覚悟はできたさ」

今回のように上手くいくとは限らない。きっとこの先、助けられない人間も出てくるだろう。
それでも救える限り救うためなら、躊躇なく刀を振り、命を奪う。
そうしない方が後悔は大きい。背中の重みはその証明であり、果たすべき責任だと思った。

「すまない、余計なお節介だったな」

心底申し訳なさそうなアレクに、笑って答える。

「俺らには国民を守るだけの力がある。力を持つなら戦うべき時に戦わなきゃなんねぇ。それが道義ってもんだろ」


ムサシは傷の痛みに少しだけ顔をしかめると、息子を背負い直してゆっくりと歩き始めた。



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